2006年9月28日木曜日

内藤&ニューシティ管のブルックナー9番完成版

昨夜の亀田次男の試合、ちょっと強過ぎる相手を選んじゃったという印象。また横浜の対中日3連敗は想定外、他チーム頼みだけに、これで逆転優勝の確率が10%から5%に減った感じ。

 予想通りの快晴、ただ気温は期待ほどは上がらず20度台後半。もう真夏日は来ないのか。

 本日はブルックナー好きの知人から頂いたチケットでブルックナー9番、しかもキャラガン(+コールズ)という人の手になる4楽章補筆完全版、世界初演らしいです。そんなにブルックナーを聴かない自分には、ブタに真珠の演奏会かも。ただ今日のコンビで以前聴いた8番(これも世界初演の新稿だった気がする)では、金管をブンブン鳴らしていたので、その点は期待。

9月28日(木) 東京芸術劇場
 内藤彰指揮東京ニューシティ管 ワーグナー トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死、ブルックナー Sym9番 <全曲>
 前半のトリスタン、速めのテンポで淡々とした指揮ながら、前奏曲での弦の食いつきのシャープさと音の伸びがなかなか。後半のブルックナーも基本速めのテンポで骨太な音作り。金管もかなり鳴っていて(個人的には)満足でした。問題の版ですが、まず第2楽章スケルツォのトリオが全然別物、曲想は冴えませんが、ヴィオラソロが出色。そして問題の終楽章、全体的には8番の、そしてクライマックスは5番のそれを思わせます。ただ、全体として曲想に落ち着きが無く、「白鳥の歌」の掉尾を飾るには少し品位に欠ける気がしました。まあ、(マーラー9番の終楽章と相似性の高い)第3楽章で終わる演奏が刷り込まれているせいで、どんな終楽章を聴いても違和感が出てしまうのでしょうけれど。

 インバルのCDで聴いたサマーレ&マッツカ版の終楽章と、かなり違う印象を持ちました。と言っても覚えてないだけかもしれません。

2006年9月11日月曜日

冤罪、死刑制度、ラーメン - 島田荘司「光る鶴」


 あーあ、シャラポワ勝っちゃったじゃないですかあ。彼女の全米初優勝を放送しないなんで殆ど犯罪です。まあ、昨年のアガシの決勝進出無放送に比べれば、犯罪度は少し低いですけれど。

 あと昨夜のモンツァ、シューはやっぱり引退しちゃうんですね。またBMVザウバーの速さには驚き。

 早朝の雨をついて、試合で大磯ロングビーチへ、現地の天気は何とか持ちましたが、散々待たされた挙句、相手が現れず不戦勝。また明日も早起き&長旅です。

 待ち時間で本が1冊読めました。島田大先生の文庫新刊です。

光る鶴 島田荘司
 吉敷竹史ものが3編。表題作は長めの中篇、著者が力を入れている冤罪&死刑制度もので、「秋好事件」「天に昇った男」に続き、実際の事件を題材にすること3度目、少しくどいかも。あとの2つは吉敷の若い頃のエピソードを綴った掌編と、「灰の迷宮」に出てきた人物を主人公とする番外編。氏の作品を続けて読んでいる人には感慨深い反面、予備知識の無い人には全く薦められません。

 「灰の迷宮」の内容はすっかり忘れてしまいましたが、九州ラーメンに関するエピソードに泣いた記憶だけ残ってます。「光る鶴」巻末解説(光文社文庫)によると、「灰の迷宮」は今年ドラマ化され、星野真里が好演だったとのこと。是非観てみたいものです。

2006年9月5日火曜日

晩夏、何度も殺される「僕」 - 連城三紀彦「どこまでも殺されて」

 えーん、さっき家に帰ったらP.ケイツ「パラダイス」の留守録に失敗してました。出掛けに2度も確認したのに…。原因不明、理解不能。ほぼノーカット放送だし、P.ケイツが若過ぎるため英米ではDVD化されずネットにも流れにくいソースだけに残念。

 4日続いた残暑の中でも今日は一番の陽気、都心では35度近かったとか。仕事を休んでサマーランドで試合、何の因果か友人と対戦、過去1勝1敗でしたが暑さのお陰で第2セットで相手が体調不良となり勝利、よって明日も試合です。

 試合会場で日向ぼっこをしながら本を1冊読了。連城三紀彦の短めの長編。彼のトリッキーな作品群は殆ど読んでる気はするのですが、この作品は読んだかどうか憶えておらず、100円コーナーで見かけた際に(再)購入しておいたもの。

どこまでも殺されて 連城三紀彦
 7度も殺された「僕」が、今まさに8度目に殺されようとしている、というあり得ない物語。アクロバットの名人がこれをどう料理するかお手並拝見、といったところですが、同じ人が何度も殺される同趣向の「私という名の変奏曲」に比べると、いま一つの感がありました。まあ、それでも単純に楽しめますし、青春小説としても読めます。

 結局読了後も読んだ事があるかは判らずじまい。本日の陽気にピッタリの表現があったので、ここに引用:

昨日の日曜から再び夏が舞い戻ったように暑くなっている。ただしそれは真夏の暑さとは違う。数字的な気温は夏と変わりないのだが、町を焼く陽ざしの白さにはどこかに秋へと溶暗する季節の翳りが感じとれた。