2014年1月21日火曜日

アバドの思い出、その1

 衝撃のニュース: クラウディオ・アバド死去
現役では1、2番に好きな指揮者でした。

 衝撃と言えば、うっかり情報遮断を忘れてシャラポワ敗退、の見出しを目にしてしまったのもショック、まだ2回戦(←ファイナルセットだけで2時間近い死闘!)までしかダウンロード観戦していなのに。

 ショックと言えば、スラットキン&リヨン国立管の芸劇先行発売日だったことを失念、10時発売開始で気付いたのは11時頃、3000円席のみあっさり無くなってました。

 本日も冬晴れ、朝はマイナス4度台とそこそこ冷え込みましたが、日中は予報通り上がって最高11度台、とほぼ2週間振りの10度超え、1月下旬を過ぎて10度を超えると何となく春の空気感を覚えます、たぶん気のせいですが。

 日曜のスポット帰省による体重増加は1㎏、昨日は食パン2枚+シリアル1食と節制したのに…、今週も昼抜きです。

 今日はアバドを偲んで思い出を二、三綴ります。

 まずアバドは自分にとってマーラーを気付かせてくれた指揮者です。

 中学時代はR.シュトラウスとショスタコーヴィチばかり、高校生になってマーラーオタクの友人に教化されるもまだ好きになりきれなかった頃、出会ったのがまずシカゴ響との2番でした。

 高校の帰り道、金沢の市街地にある"山蓄"ってレコード屋さんに通いつめており、2階にある視聴室で馴染みになった優しい店員さんに色んなLPを聞かせて貰ってました。

 ある日そこで掛かっていたのが、発売間も無かったアバド&CSOの2番の終楽章、合唱の出番が終わった後のコーダ、ブラスの純度の高い響きに頭を殴られたような衝撃!

 当時アバド&LSOのハルサイのLPだったか、キャッチコピーで「アバドに撃たれた!」みたいなのがありましたが、まさにそんな感じです。

 自分には高価だった2枚組LPを初購入、その硬質なダイナミズムほとばしる演奏を繰り返し聴いて刷り込まれたせいか、その後のBPOやルツェルン祝祭管との再録音より、いまだにCSOとの旧盤の方がずっと好き、ま、2番に限らずアバドのマーラーは再録音よりその頃(70-80年代)の演奏の方が好みです。

 また当時はその少し前に出たメータ&VPOの2番も世評高く、録音も共に優秀でした、因みにメータもこの頃の方が好きです。

 次なるアバドのマーラー体験はザルツブルグ音楽祭のFM中継、VPOとの3番です(これも70年代後半)。初めて聴く3番はその長さに耐えられず2楽章頃に沈没、終楽章になって目覚め、やや寝惚けながら聴いたクライマックス、永遠に続くかと思われた最後の1音にただただ陶然。

 その体験のせいかいまだにマーラーで最も好きなのは3番、当時まだ3番のLPは少なく、やはり高校時代に輸入盤のレヴァイン&CSOの3番を京都まで買いに行ったのを覚えており、その後に出たアバド&VPOの3番がザルツブルグの演奏とかなり違う印象だったこともあり、いまだに終楽章はこのレヴァイン盤が自分のリファレンスです。

 因みに同時期('77-79年頃)自分にマーラーの洗礼を浴びせてくれたFMライブには、上記アバド&VPOの3番の他、インバル&フランクフルト放響の6番と、バーンスタイン&ベルリンフィルの(高名な)9番があり(勿論どちらも解説は金子建志!)、前者のエアチェックテープは家宝です(後者は後にCD化されて希少価値激しくダウン(笑))。

 あとマーラー以外で強烈な印象だったアバドのLPは、シカゴ響とのアラとロリー、ロンドン響とのアレクサンドル・ネフスキー、共にそのド迫力にシビレました。

 長くなったのでこの続きはまた明日、大学生以降に接した実演を中心に書きます。

<追記>
 ところで僕の年代だとアバドのマーラーと言えば、孔雀の羽のジャケット!と答える人が多いのでは。

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